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なぜ歯医者になったのか _プラモデル好きの少年が歯科を選んだ理由

「先生って、なんで歯医者になったんですか?」

患者さんやスタッフから、ときどきこう聞かれます。

正直に言えば、子どもの頃から歯科医師になりたかったわけではありません。
小さい頃の夢はパイロットだった気がするし、中学の頃は何になりたいかなんて考えてもいませんでした。

ただ、振り返ってみると、いくつかのことが一本の線になって、この道へ導いてくれたのだと思います。

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農機具販売会社の長男として

1966年、茨城県常陸太田市に生まれました。

祖父が鉄工所から農機具販売会社を興し、父がその事業を継いだ家庭です。
いわゆる「跡継ぎの長男」でした。
ものづくりの現場が身近にある環境で育ちましたから、自然と手先を使うことが好きになりました。
特にプラモデルにはのめり込みました。
細かいパーツを組み立てて、ひとつの形にしていく。
あの集中する時間が好きだったのだと思います。

父は、ビジネスセンスのある人でした。仕事についてあれこれ言う人ではありませんでしたが、ひとつだけ繰り返し言っていたことがあります。

「どんな職業に就いても構わない。ただし、サラリーマンにだけはなるな。会社の歯車になるな」

独立して自分の力で生きていけ、ということだったのだと思います。
この言葉は、高校生になっても、大学に入ってからも、ずっと頭の中に残っていました。

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いくつかの理由が重なった

歯科の道を意識し始めたのは、高校3年のときです。

ひとつは、身近な祖父母が歯で苦労していたこと。
入れ歯が合わなくて食事がつらそうだったり、歯が痛いのに「歳だから仕方ない」と我慢していたり。
そういう姿を見ていました。

もうひとつは、母から聞いた言葉です。「この辺りには、安心して任せられる歯医者さんがいない」。
常陸太田は決して大きな街ではありません。
当時、信頼できる歯科医院を見つけるのに苦労していたようです。

そして、地元に帰りたいという気持ち。東京や大都市に出て勝負するより、自分が生まれ育った街で、知っている人たちの役に立ちたい。
この思いは今も変わっていません。

手先が器用なこと。
独立して仕事ができること。
地元に貢献できること。
身近な人の困りごとを解決できること。

これらが重なったとき、「歯科医師」という選択肢がすとんと腑に落ちました。

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北海道での6年間

国立北海道大学歯学部に進学しました。

北海道での学生生活は、常陸太田で育った自分にとって、世界が広がる経験でした。広大なキャンパス、全国から集まる同級生、そして歯科医療の奥深さ。
大学で学ぶほどに、歯科は「歯を削って詰める」だけの仕事ではないことを知りました。

ただ、正直に言えば、学生時代の自分はまだ「将来どんな歯科医師になりたいか」という明確なビジョンは持てていませんでした。
それが劇的に変わったのは、卒業後の出会いでした。

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歯科観を変えた恩師との出会い

卒業後、私の歯科観を決定づける出会いがありました。

埼玉県の飯塚哲夫先生です。

飯塚先生から教わったことは、技術だけではありません。歯科医療そのものの考え方でした。

「一口腔一単位」── 虫歯1本だけを見るのではなく、口の中全体をひとつの単位として診ること。

「歯科は一科」── 矯正、外科、補綴と専門を分けるのではなく、一人の歯科医師が総合的に診られる力を持つこと。

「医療としての歯科」── 保険の点数や経営の都合ではなく、医療として正しいことを判断基準にすること。

この教えに感銘を受け、飯塚先生の実践の場である茨城県土浦市のクリニックに就職しました。

そこで過ごした5年間は、自分の未熟さを痛感する日々でした。

診査診断、虫歯の見極め、治療の手技。すべてにおいて「自分はまだまだだ」と思い知らされました。
厳しい環境でしたが、あの5年間がなければ、今の自分はありません。

 

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30歳、地元で開業

28歳で結婚し、30歳を機に、常陸太田で開業しました。

「自分の力を試したい」という気持ちと、「地元に貢献したい」という高校生の頃からの思い。
この2つが重なっての決断でした。

開業当時は、飯塚先生から学んだ「医療として正しいこと」をひたすら実践しようとしていました。患者さん一人ひとりに時間をかけ、丁寧に説明し、最善の治療を提供する。その信念は今も変わっていません。

ただ、開業して数年後、大きな壁にぶつかることになります。そのときに学んだことが、今の菊池歯科クリニックの形を決定づけました。

その話は、また次の機会に。

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プラモデルと歯科医療

ときどき思うのです。

プラモデルが好きだった少年は、結局、同じようなことを仕事にしたのかもしれない、と。

細かいパーツを丁寧に扱い、ひとつの形に仕上げていく。完成したときの達成感。それを手に取った人が喜んでくれる嬉しさ。

マイクロスコープを覗きながら、0.1ミリ単位で歯を削っているとき、ふとそんなことを考えます。好きなことの延長線上に今がある。それはとても幸せなことだと思います。

常陸太田で生まれ、北海道で学び、土浦で鍛えられ、地元に戻ってきた。

この街で歯科医師として生きていくと決めたあの日から、もう30年が経ちました。

菊池歯科クリニック 院長 菊池健志